足跡

読書と内省、ときどき他のこと

私の祈り

 

 

舞城王太郎さんの「好き好き大好き超愛してる。」を読んだ。

 

 

初読は4年前の春くらい。

斉藤壮馬さんが「書き出しが好きな本」として紹介していたのを見たのがきっかけだった。

 

 

後暗いニュースや言葉のナイフがSNSを飛び交うこのご時世に、「愛は祈りだ。僕は祈る。」で始まって「間違いばかりでいい。愛し過ぎるというのはそういうことなのだ。そしてそれぐらいで、人を愛するにはちょうどなのだ。」で締まるこの本を無性に読みたくなった。

 

 

おそらく治の書いた小説であろう、間に挟まれてるSF3篇も好きなんだけど(いちばん好きなのはニオモ。普通に全編(?)読みたい)やっぱり私には柿緒の章がいちばん刺さる。

改行もなく怒涛のスピード感で綴られる治の気持ちと記憶。

「読みづらい」って感想も散見されるけど、私はするする読めた。

たぶんこのずーっと内省している感じが私の思考と似てるからだと思う。

 

 

私は私の好きな人たちを正しく愛せているのか、たまに不安になる。

そもそも正しく好きとはなんなのか。

ずっーと好きでいたい気持ちもあるし、きらいになってしまうことがあるなら、その気持ちを抱く私になる前に離れたいとも思う。

なにかあったときに悲しみが大きくないよう、好きになりすぎたくないとも思う。

100年経っても好きでいたいから、別にちょっとの日数なら好きでいられない時間があってもいいと思う。

これからもそういう風に考え続けながら、好きな人たちを好きでいるんだと思うし、たぶん、それでいいんだと思う。

 

 

そして、その気持ちを誰かやなにかへのナイフにしていないのでもあれば、私は誰の好きな気持ちも否定したくないと思う。

みんなが好きな人を好きなように好きでいられますように。

 

 

これも私の祈り。

 

 

 

"(Non) Fictions“

 

 

斉藤壮馬 Live Tour 2024 “ (Non) Fictions “

無事に全公演終了、おめでとうございます!

 

 

私は初日の大阪公演に参加しまして、ツアーの開催が発表されたときに「初日は大阪って満場一致で決まった」って話してくれたのが本当にうれしくて。

ずーっとこの日が楽しみでした。

今回はがんばって記憶が新鮮なうちに、ある程度感想を書き残したので備忘です。

曲によっては濃さが違ったり、朧げなことはニュアンスだったりするけど、悪しからず。

あと曲の記憶を残すのに必死でMCの話はほぼないです。

 

 

 

1.ハンマーガール

願望大的中!まぁせやろなという感じではあったけど笑

この曲のイントロ聴くと体温が上がる感覚があるから、アルバムでもこのライブツアーでも始まりの曲なのがとても好き。

初っ端からギターをかついで出てきた壮馬さんを見て、更に体温が上がったと思う。

今年の夏にこの曲に出会えたのは私の中でかなり大きいできごとだったから、無事に聴けてうれしかった。

 

2.蝿の王

序盤から飛ばすね!?

banquetでこの曲で赤ペンラぶん回すの最高に楽しかったから、またできてうれしかった。

 

3.共犯者

本当に序盤から飛ばすね!?!?

めちゃめちゃライブで歌ってほしいけど歌えるやつなのか……?と思ってましたが愚問でしたね。

「今宵、あなたが僕らの共犯者です」←めちゃめちゃ沸いた

 

4.レミニセンス

序盤はほぼピアノのみの、アルバムのアレンジバージョンみたいなやつ。

2番に入って一気にバンドサウンドになったところ鳥肌立った。

 

5.ないしょばなし

だいすきな曲!

歌ってほしいけど、アルバムを引っさげたツアーで、更に過去のEPの曲だからセトリ入りはむずいと思ってたので本当にうれしかった。

なに歌うか理解した瞬間、思わず崩れ落ちそうになってしまった。

歌い始める前にって「しーっ」って仕草をしてたのがめっちゃ壮馬さんだった。

 

6.ヒラエス

中盤にきたのがちょっと意外だった。

本編最後かと予想していたので。

私はエッセイの「ヒラエス、ヒラエス」にだいぶ救われた人間で、壮馬さんが教えてくれた言葉の中でいちばん好きだから、こうして曲としてもこの言葉に出会えて感慨深かった。

背景で流れてる映像が美しかった。舞い散る木の葉。

 

 

‐映像‐

街並み、どこかの雑踏だったり。

日付はアルバムの発売日である9月25日。

 

 

7.Puppet Mood

ストーリーとかで誘導のあった手拍子楽しかった。

ちょっとざらついた感じの歌声なの好き。

 

8.SPACE TRIP

最初のドラムがちょっとサマホリに似てるから(主観)「ここでサマホリ!?」って一瞬思ったけど、宇宙っぽい雰囲気のライティングになって、もしかしてって思って、歌い始めたときのうれしさすごかった。

ないしょばなしと同じで、歌ってほしいけどセトリ入りはどうだろうな〜の枠の曲だったので。

終盤の宇宙というか、星空の中にいるみたいな感じがめっちゃ好きだった。

 

9.Riot!

コーレスが楽しかった!

ペンラ捨てて拳を突き上げようかちょっと迷った。

 

10.carpool

本当にすみません。

青と紫がメインの照明と映像で、勝手にこの曲に概念を感じている2人の色だったので、彼らに思いを馳せながら聴いてしまいました。

安定のラスサビのアレンジが好き。

 

11.ノクチルカ

序盤の月明かりに照らされてる中で歌ってるみたいなライティングが綺麗ですごい好きだった。

落ちサビの斉藤壮馬(至高)

 

12.楽園

本編最後。めっちゃいい意味で予想を裏切られた選曲。

5周年ライブで絶対セトリ入りすると思ってた予想が外れてしまったので、聴けてうれしかった。

アルバムとツアーのタイトル的に「物語の切れ端を 震える欠片たちを集めたら」って歌う曲で締めるのはぴったりだと思った。

あと壮馬さんの音楽活動って旅なので、「次はどこへ行こうか」のあとにお辞儀してはけていく壮馬さん見て次の行き先が楽しみな気持ちになった。

個人的に今回のセトリで「この曲ってこんなライブ映えすんの!?」枠NO.1の曲だった。

 

 

Encore

 

 

13.memento

いつも壮馬さんひとりで弾いてたイントロのギターリフがSakuさんとバトル形式(?)に。

めっちゃ良かった!

そまバン発案の試みらしいので本当にありがとうございます。

相変わらず空の映像が綺麗。

 

14.Sway

そまバンのみなさんと壮馬さんもギター演奏しながらすごく楽しそうに歌ってたのがMVの雰囲気そのままでよかった。

最後のパートの力強い歌い方好き。

 

15.(Fake)Flowers

一旦「これで本当に最後の曲」って言ってたから、ここも意外な選曲だなって思った。

背景の映像がカラフルなお花で、3年前に大阪公演が中止になったツアーのタイトルがin bloomで、あの時うまく咲けなかった花はちゃんとまた咲いたんだなって感覚になって、私の勝手な解釈なんだけど、そういう繋がりみたいなものを感じてグッときてしまった。

サビのファルセットがとても心地良い。

壮馬さんのファルセット大好き。

歌がうまい(それはそう)

客席からの \ シュプレヒコール / を促すのに両手を広げてるのがかわいかった。

舞い散る花びらは裏なのか表か分からない。

それがどっちだっていいじゃない、楽しめれば、って話してたのがとっても好き。

 

16.ベントラー

(Fake)Flowersで最後の雰囲気だったから、歌い終わったのにギター担ぐから会場ざわざわ。

このアルバムに入れようか迷ってた曲。

最後に歌うということはポジティブなエネルギーがある。

他にも歌う前に喋ってたことがすごく今の私の心に刺さって、曲聴いてるときも私が今まで見つめたり経験してきた景色にいろいろと重ねてしまって、ちょっと泣いた。

なんていうか、私にとって、壮馬さんのつくる曲はフィクションだからこそ安心して信じられるところがあるので。

 

 

改めまして、ツアー完走おめでとう!

大阪リベンジありがとう。

約束を守ってくれて、ありがとう。

3年前と変わらず、あなたとあなたのつくる音楽が大好きです。

次はいったいどんな旅路を共にできるのか、楽しみにしています。

 

 

 

 

見上げる月が綺麗な理由

 

 

 

私にとって、「CDを買う」ことの色濃い記憶は、真っ先に高2の冬の終わりが思い浮かぶ。

 

当時の私がいちばん大好きで、これから応援して、もっと好きになっていくことが楽しみで仕方なかったグループのメジャーデビューアルバム。

それまでにもインディーズでCDは何枚か出てたんだけど、好きになって日が浅い私は彼らのCDを買うのは初めてだった。

地方の高校生だったので、地元のCDショップで予約していたそれを、学校から帰ったあとに親に取りに連れて行ってもらった。

「この日のことは絶対に一生忘れないだろうな」ってうれしくなって、帰りの車の中でCDの入った袋をぎゅっと抱き締めたのを、今でもはっきりと覚えている。

私は制服のままで、冬の終わりの夜はまだ寒くて暗くて、CDショップの袋の黄色だけが彩度の低い世界の中で鮮やかに輝いて見えた。

 

 

 

 

この時の私は知らなかった。

 

 

 

 

 

 

数日後、そのグループのメンバー全員が同じ事務所の先輩グループに新メンバーとして加入することも。

だから、そのグループはなくなってしまうことも。

だから、彼らのCDを買うのはこれが最初で最後だったことも。

 

 

元のグループに未練なんてないみたいに笑う彼らを目の当たりにして、呆然として、なんにも理解も納得もできなくて、したくなくて、ただ泣くことしかできなかった。

 

 

まぁそこからは、割愛はするけどそれなりの年月をかけていろいろなことがあって、かたちをどんどん変えていく彼らのグループを好きでいようとし続けることに諦めを感じてしまう瞬間がきてしまって、俗に言う‘’降りる‘’ことを選んだ。

 

 

 

 

 

時は流れて2020年。

 

 

音楽は配信やサブスクがすっかり普及していて、気に入った曲は大体スマホを操作すればいつでも聴けるようになる。

わざわざCDを買う必要なんてない。

買ったとしても好きなコンテンツのドラマパート目当てとか、舞台(2.5次元)のチケット先行に申し込みたいとか、そんなん。

その頃の私は、好きな歌手を聞かれても特定の人やグループを答えることはもうないんだろうなって考えていた。

好きな‘’曲‘’はそれなりにたくさんあったけど、特定の誰かや誰かたちに心を砕くのは億劫だと思っていた。

 

 

 

だけど、斉藤壮馬さんを好きになって、彼がつくる音楽に惹かれた。

壮馬さんが書いたあるエッセイを読んで、悲しいだけだと思い込んでしまっていた記憶は、悲しいだけじゃなかったって思い出せた。

スマホの中には少しずつ、iTunesで買った彼の曲が増えていく。

 

 

そんなある日、アルバムの発売が告知された。

 

 

また「この人の曲が好き」って理由でCDを買えるんだ、って気づいて、泣いてしまいそうになるくらい、うれしかった。

宅配で届いたCDが入った箱を、あの冬の終わりの日と同じように、ぎゅっと抱き締めた。

 

 

この10年くらいの間、他にもグループやバンドで気になる人たちは正直いたけど、私がもっと好きになりたいと思ったのは壮馬さんだった。

それが答えだと思っていた。

やっぱり私はグループの人たちは好きになれない。

(ここではそまバンやチーム斉藤壮馬の概念は一旦置いておくものとする)

だって、グループの人たちって人数が変わったり、解散したりするし。

悲しい思い出だけじゃなかったとは思えるようになったけど、変化になるべく怯えずに、誰かを好きでいたかった。

 

 

 

 

だから、今年の1/8に飛び込んできたニュースを見て、もう二度と味わいたくなかった、味わうことはないと思っていた、あの時と同じ、冷たい気持ちが心臓の奥から湧き上がってくる感覚に激しく動揺した。

 

 

 

彼らのことは、2022年のカウコンあたりから「いいグループなんだな」と茶の間目線で好ましく思っていたつもりだった。

私の中の枠組みで、自分が好きになることはないけど、この人たちのファンだったら幸せなんだろうな~って思う人たちだった。

今になって思い返せば、秋に鉄腕DASH!に出演する聡くんを見たのをきっかけに、人生遊戯のPVを始めとして公式であがっている動画をよく見るようになってて、明らかにハマる一歩前くらいの状態だったと思う。

だけど、私に「自分がグループの人たちを好きになっている」発想がなさ過ぎて全然自覚がなかった。

 

 

最初は気づかなかったことにしようとしたり、泣いたり葛藤したりもしたけど、私はSexy Zoneを好きな私になることを選んだ。

なにも知らないまま、たった数日で終わりを告げられたあの時とは、なにもかもが違う。

 

 

Sexy Zone名義での最後のシングルである「puzzle」を私は大事に受け取った。

 

 

タワレコのポスターの写真を撮りに行ったり、歌番組の出演時間に間に合いたくて駅から家まで猛ダッシュしたり、ピザみたいな箱で届いたLP版のでかさに笑ったり、ゲリラのインスタライブをリアルタイムで見られてしあわせだったり、楽しかった。

 

 

そこから奇跡みたいな最後のオンラインライブがあって、衝撃の発表があった4/1を迎え、また泣いたり落ち込んだり分からなくなりそうになったりしながらも、夏のツアーが終わり、秋になった。

たぶん、次の季節にはtimeleszはもう3人じゃないから、限られた今の時間をめいいっぱい楽しんで、私たちのことも楽しませてくれて、たくさん残してくれるのは十分すぎるくらい伝わった。

 

 

 

 

今の私はもう知っている。

 

 

 

 

ずっとや永遠というのは簡単じゃないことも。

グループの名前や人数、かたちは変わってしまうことがあることも。

でも、変わらないものだってちゃんとあることも。

「because」はtimelesz3人体制での最初で最後のシングルだということも。

 

 

「because」の発売が告知されたとき、すごくうれしかった。

6月にEPが出たときは正直、不安の方が強くて、3人体制での最初で最後のCD(だったはず)なのに、義務感みたいな気持ちで受け取っていたのが心残りだった。

今度はちゃんと受け取れる。

しかも、フラゲ日は私の誕生日だ。

絶対に宝物みたいな1枚になる。

 

 

タワレコのオンラインショップってとっても便利だ。

フラゲの対象の商品であれば、発売日の前日に最寄りのセブンイレブンで朝の7時から受け取ることができる。

でも、私は予約の時に店舗受け取りを選んだ。

今は遠い昔の冬の日と同じように、帰り道でCDの入った袋を抱き締めたかった。

 

 

 

 

ねぇ、15年前の泣いてた私、もう大丈夫だよ。

いろんなことがあったけど、好きな人の、グループのCDをあの日と同じ気持ちで買える日はまたくるよ。

 

 

これからまた時間が経って、この先の私が誰を好きなのか、timeleszのファンでいられているのか、CDの概念はいつまで残ってるかは分からないけど、今年の誕生日に電車の中でタワレコの袋を抱き締めたことも、今の私が見上げる月はとっても綺麗なことも、その理由も、きっと一生忘れないよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

上映はつづく

 

 

いしいしんじさんの「プラネタリウムのふたご」を読んだ。

 

 

2年ほど前に読んだ、鯨井あめさんの「晴れ、時々くらげを呼ぶ」の中に出てくる作品で、それでタイトルは知っていた。

 

 

6月にいきつけの書店のひとつをふらついているときだった。

元々目当てだった雑誌を手に取って、特に目的なく文庫本のコーナーをたぶん20分くらいうろうろして、その間ピンとくるものは特になくて、今日はこの雑誌だけ買うか~と思おうとした瞬間、この本の背表紙が視界に入ってきて、気づけば手を伸ばしていた。

 

今までにないくらい、強烈な目の合い方だった。

 

私はその時に読む本を選ぶときは「今はこの本が私に読みたがられている(?)」みたいな感覚があるから、そうやって次に読みたい本が分かるんだけど、今回に関しては「今読んで!」っていう使命感みたいなものが本の方から伝わってきた感じ。

 

 

 

ちょうどこの本を手に取ったとき、私は不安だった。こわかった。

私には好きなアイドルがいて、すごくすごく丁寧に言葉を尽くしてくれる人たちなんだけど、いつかその言葉に対して「嘘」を感じてしまう自分がいるかもしれない、って不安が胸に広がっていた。

彼らが渡してくれる大事な大事な言葉たちに対して、「あのとき、ああ言ったのに?こう言ったのに?」って思ってしまう日がきたらどうしようって。

生まれてしまったマイナスな気持ちに引っ張られて、彼らの見つめ方が分からなくなりそうになっていた。

 

 

購入した次の日から早速、不安から逃げるように活字の世界を目で追った。

 

 

 

物語の中で、ふたごはそれぞれ「プラネタリウムの解説員」、「手品師」という役割を担っている。

 

「プラネタリウムの解説員」は本物ではない夜空を前に、まるで実際に見てきたかのように星の成り立ちや物語を語る。

「手品師」は鮮やかな手口や仕掛けを駆使して、まるで魔法のようなひとときを観客に提供する。

 

 

私は最後の章で、ふたごの片割れが栓ぬきに、これから挑戦する手品の話をするところが、たまらなく好きだった。

もしもいつか、栓ぬきが本当のことを知る日が来る日が来ても、小川のせせらぎの中に、窓をたたく雨粒の中に、泣いている誰かを目の前にしたときに、彼の存在をそこに感じ続けてほしいと思った。

私がエンタメや嘘/フィクションを愛する理由と重なって、とても刺さった。

そういうものにはひとを救う力があるのだ。

 

 

アイドルってよく星に例えられるけど、私はアイドルのファンはプラネタリウムの観客だなって思った。

これはアイドルが人工的な星そのものってことじゃなくて、解説員の立場だと思ってて、私たちはアイドル側が見せたい輝きや星の物語を見ているに過ぎなくて、それをどういう風に捉えるか解釈するのかは私次第だから。

だから今は、いつか不安が現実になるかもしれないことに怯えるよりも、私が心動かされた星の輝きをただただ大事に抱き締めよう。

手品のショーにも存分に酔い痴れよう。

そう思えた。

 

 

時間も経った今は、彼らが届けてくれる言葉にもうほとんど不安は感じない。

それでもいつか苦しい思いはするかもだけど、この物語を知っている私なら、たぶん大丈夫。

「ああ言ったのに?こう言ったのに?」じゃなくて、「だまされる才覚が私にはあったんだな!」って思いたい。

 

 

 

不安な気持ちに飲まれてしまいそうだったあの時、この本と目が合ったのも、物語に出てくる手品師の誰かのおかげなんじゃないかと思う。

 

 

 

あとは、途中でテオ一座とは道を違えることになる兄貴と、あのシーンでテオ座長が自分自身にもいいきかせるように紡いだ言葉にも、私は私が好きになったアイドルたちを重ねずにいられなかった。

表立って見えなくても、彼らの六本目の指も、きっとずっと、各々が選んだステージの裏側で、たがいに離れないように密やかに結ばれているのだろう。

 

 

足跡

 

 

 

 

初めてライブというものに行ったのは15年前の夏だった。

 

 

2009年7月の大阪城ホール。

当時好きだったグループが思わぬ変化を遂げて、新体制になって、初めてのライブツアー。

彼らの変化はまだオタク経験値もろくにない、子どもだった私にとって飲みこみ難いもので、それでも、ただ彼らに会いたかった。

 

でも、ライブ当日の彼らはひとり欠けた状態でステージに立っていた。

 

私がいちばん大好きだったあの人が、怪我をしてしまって、不在だった。

ライブ自体は楽しかったんだけど、あとから「悲しい」とか「悔しい」がじわじわ膨らんでしまって、帰りの車の中で泣いた。

ただただどうしても、いちばん好きだった人たちに、誰も欠けていない状態で、あのタイミングで会いたかった。

誰も悪くないけど、初めてのライブは苦みが強めの思い出になった。

 

 

 

そこから経った長い時間。

 

「もう着いていけない」と思う瞬間がきてしまって、あの人がいるグループを応援することを諦めた。

その後にはなるけど、あの人はステージから降りることを選んだ。

他にも好きな人はできて「ライブ」にも楽しい思い出はたくさんできた。

大阪城ホールにも何度か入った。

変化になるべく怯えたくなくて、もう絶対に「グループ」の人たちなんて好きにならないと思っていた。

 

 

だけど、去年の秋に松島聡くんを「見つけて」、今年の1月に私はSexy Zoneを好きな私になった。

 

 

 

今年の7月22日、横浜アリーナ、私はtimeleszのコンサートに来ていた。

まずは誰も怪我したり欠けることなく、この日を迎えられたことに安堵した。

(幸い前乗りしていたので私は大丈夫だったんだけど、この日は朝から新幹線が止まっていて肝が冷えた)

 

 

コンサートの中盤、それぞれソロ曲のパート、勝利くんと風磨くんのパフォーマンスが終わって最後は聡くんの番だった。

聴こえてきたイントロは、2019年に出たアルバムの収録曲で、その年のツアーの本編最後の曲。

この年の聡くんは活動休止中にあたるので、アルバムにもツアーにも参加していない。

 

 

聡くんがなにを歌うのか理解して、まず思い浮かんだのはコ。展*1の図録、「オペ」という作品のキャプションだった。

 

 

タイムトラベルして足跡は消せなくても、飾り付けて新しいかたちにすることはできる、というような内容。

 

 

当時の聡くんのことと、聡くんを好きな人たちのことを思って、たまらない気持ちになった。

キラキラしたものだけじゃなくて、痛みごとぜんぶまるっと抱きしめて持っていくつもりなんだっていう、聡くんの意思表明みたいなものを感じた。

 

 

モニターには2019年のコンサートの映像が映っていて、当時の4人と今の聡くんが、一緒に歌って踊っている。

 

 

そして、曲はアウトロに向かい、当時のエンドロールの最後と同じ映像も流れた。*2

 

 

記念撮影をしている4人の男の子。

シャッターが切られる直前に駆け寄ってくる、もうひとりの男の子。

そして当時はなかった、聡くんの手書きのメッセージが映った。

 

 

 

『どんな涙も明日に繋がります』

 

 

 

それを見た瞬間、2019年の聡くんと聡くんを好きな人に思いを馳せていたはずの私の脳裏には、あの人にまつわる、悲しい、さみしい記憶が、ページを捲り返すみたいに湧きあがってきた。

 

 

公演中に怪我をしたという情報を見たとき。

「アキレス腱断裂」の文字を見たとき。

これ以降のツアーへの参加はできなくなったというお知らせを見たとき。

ひとり欠けたステージを見たとき。

帰りの車で全員揃ったMVを見て泣いたとき。

もうついていけない、上手に応援できない、って思ってしまって、離れようと決めたとき。

遠くから結婚報道を見つめて、本当に遠くなったなぁってぼんやり考えたとき。

表舞台のステージから降りるという決断をしたというニュースを見たとき。

その理由を知ったとき、すごくショックだったけど、そんなこと思う資格ないなって思ったとき。

最後にステージに立った日のインスタの写真を見たとき。

退社日にアップされたメッセージを見たとき。

本当はやっぱり、ずっと好きでいたかったなぁと思ったとき。

 

 

私は、聡くんが休んでいた2年くらいを経験していないけど、戻ってくることを選んでくれたから、今好きになって応援できてて。

ステージに立ってくれてて。

もう離れた身だし……ってなるべく静かにその日を迎えたつもりだったけど、私が大好きだった、好きでいたかった、ステージの上に立つあの人はもういないの、自覚していたよりもずっとずっと悲しくて痛かったって、やっと分かって。

実は「オペ」のキャプションを初めて読んだときに頭に過ったのは、あの人への感情のことだったから、そこにも繋がりを感じてしまって。

蓋をして、置き去りにしてきたつもりだった気持ちが溢れてしまって、涙になった。

正直すっごい苦しい気持ちにはなったけど、私はこの瞬間のために聡くんのことを好きになったんだって、本気でそう思った。

 

 

ぜんぜん別のきっかけで、悲しい思い出だけじゃなかったって思うことはできていたんだけど、痛かったことは思ったよりも痛いままだった。

でも、それでいいんだって素直にそう思えた。

これも私の足跡。

「あの人のことが好きだった、好きでいたかった」って気持ち、苦しさもあるけど大事なもの。

「好きだった」っていう事実よりも、「ずっと好きでいたかった」っていうのが膨らんでしまって、ずっと捕らわれていたし、今でもその気持ちはある。

うまく言えないけど、その気持ちを聡くんが「私のだよ」って渡してくれた感覚。

 

 

この痛みも抱えながら、私は聡くんのことを好きでいていく。

 

 

 

 

だいすきなゲームに出てくる言葉。

 

『永遠よりもこの毎日が奇跡だ』

 

あの日、聡くんのパフォーマンスを見てから、この言葉をより一層つよく噛みしめている。

「当たり前が当たり前じゃなくなる日は突然やってくる」っていうのは、聡くん自身も言っている言葉だ。

 

 

松島聡くん、今の私にとって世界一のアイドル。だいすきな人。

彼がステージに立ってくれている日々は当たり前じゃない。

 

 

なるべく遠くあってほしい未来、終わりをむかえるその日がきたとしても、そのときは思いっきり泣いたあと、流した涙と彼との日々が綴られたページに、とびきり美しいリボンをかけられますように。

 

 

 

 

 

 

«余談»

 

コンサートの翌日に行った鎌倉で撮影した写真。

 

 

いつかの4人が見た、5人での思い出の景色を私も見られてうれしかったです。

好きな1枚。

 

 

 

*1:2023年秋に開催された聡くんの個展

*2:PA^GE^Sの円盤は視聴済だったので演出とかは知ってた

本と私のグラデーション

 

本を読むのが好きだ。

なんで?って聞かれたらうまく理由は答えられないけど。

 

小学校低学年の時くらいから、常に本は生活のそばにあったと思う。

昼休みや放課後は図書室に入り浸って過ごすことは多かったし、下校中もよく本を読みながら歩いてて(今考えたら危なすぎる)よく電柱にぶつかりかけていた(今考えたら以下略)

 

キノの旅、デルトラ・クエスト、ハリー・ポッター、ふーことユーレイシリーズ、怪談レストランシリーズ、ブレイブ・ストーリー…ファンタジーだったり非現実要素のある話を好んで読んだ。

中学生のときはケータイ小説なるものの全盛期でそれもよく読んでいた。

たぶん、特に昔は絶対自分の身にはおこらないであろう話を読んで追体験の感覚?を味わうのが好きだったんだと思う。

作家だと市川拓司さんが今でもだいすき。

 

そんな私も18歳で進学して親元を離れたあたりからは本を読むことは減っていった。

アニメを見たり、お笑いのライブに通ったり、読書以外の楽しいことの比重の方がだんだん重くなっていったのだ。

そして社会人になり、本棚に増えるのはいつの間にか漫画ばかりになっていたある日、転機が訪れた。

斉藤壮馬さんを好きになったのだ。

 

「斉藤壮馬」に興味を持ったいちばんのきっかけはヒプノシスマイクの夢野幻太郎だ。

嘘つきな小説家に声を当てる彼の名前をGoogleの検索エンジンに放り込んでWikipediaを開く。

そこには壮馬さんが声優界きっての読書家であることも書かれていて、「この人、素で夢野っぽいのかな?」と思ったのを覚えている。

そこを入り口に彼の他のパーソナルな面を知り(夢野より変な人かもと思った)、音楽活動を知り、エッセイを読み、活動を深追いするようになった。

 

壮馬さんは本に関わる仕事もたくさんしている。

小説の書評や帯コメントを書いていることもあるし、よまにゃチャンネルの朗読に河出文庫の選書フェアとのコラボ、スピンでのエッセイの連載、短編小説の掲載。

 

 

壮馬さんが紹介したり、お仕事で関わったりした本を買いに書店に行く機会が増える。

目当ての本の他に、装丁やタイトル、あらすじに惹かれるものに自然と目が向くようになっていった。

壮馬さんの言葉を借りるなら「本と目が合う感覚」

次第にそういう感覚を覚えた本も一緒に買うようになった。

特に用がなくても、外出の際に大きな書店に立ち寄るようになった。

「目が合った本」があればそのまま買って帰ることもあるし、なにも買わずに書店をあとにすることもある。

去年の1月がめちゃめちゃ本をスラスラ読める時期で7冊くらい読んだし、1冊に2ヶ月くらいかけることもあれば、3ヶ月くらいほぼなにも読まないこともある。

そんな風に読書は、いまの私の生活に当たり前のように存在する行為になった。

 

 

「読書」じゃなくて「壮馬さんの影響で読書をしている私」が好きなんじゃないかとちょっと悩んだ時期もある。

壮馬さん自身もエッセイで綴っていたやつだ。

私の場合、マシンガンズの滝沢さんが「自分の推し活感覚でゴミの分別をちゃんとしてくれるようになったら嬉しい」と、言っているのを見かけてから、そういう考え方もありなんだ!と新しい視点が生まれた。

あとは、そもそも読むこと自体が好きじゃなかったら1ヶ月で10冊近く読んだり、壮馬さんが紹介していたからという理由で内容が少し難解(私の感覚で)かつ600ページ越えの分厚いの(早瀬耕さんの「未必のマクベス」)を読む気にならないか、という結論に落ち着いた。

 

 

好みの本の傾向は昔と大きく変わってないなとは思うけど、それでも中学~高校生のときならぜったい好きだったろうけど、あんまり刺さらなかったな、という本もあるし、大人になったいまだからこそ読めたんだろうなと思う本もある。

 

 

 

 

本をまたよく読むようになってから、部屋に本棚をひとつ増やした。

今の時点で9割くらいが埋まっている。

中身は壮馬さんの存在がきっかけで手に取ったもの、それ以外のものが半々くらい。

「未必のマクベス」がきっかけで、早瀬耕さんにドハマりしたので彼の作品はひと通り揃っている。

それ以外、の中には中学生のときに買ってもらった初めての市川さんの作品「いま、会いにゆきます」から先月読んだばかりの「ねえ、委員長」もある。

質量が多くてこの本棚には収まってないけど、ハリー・ポッターも文芸サイズの分厚いやつを全巻持ったままだし、キノの旅も1巻から最新巻まで揃っている。

「キノの旅」のアニメ(新しい方)を視聴していたときはエルメスに声をあてている人のことをこんなに好きになるとは思ってなかったし、ラジオとかで「初めて読んだラノベはキノの旅」って話すのを聴くたびに壮馬さんと同世代なのを感じてうれしくなった。

 

正直、読み返す機会はあるんか?って思う本もあるけど、今のところ手放す気はない。

本棚を眺めて、いままでの私がグラデーションみたいに詰まってるなって思うのが好きだから、そう思わなくなるまではいままで通り、手元に置いておきたいと思う。

 

今は佐藤勝利くんが出ていた舞台の原作である「怪物はささやく」を読み終わったばかり。

次はなにが読みたいかな~。

 

 

 

あと70年くらいあるもんな

 

山本文緒さんの「自転しながら公転する」を読んだ。

 

 

 

私がこの本を手に取る1ヶ月ほど前、私の推しである斉藤壮馬さんが入籍したことを公表した。

 

ずっと浸っていたかったアーティストデビュー5周年ライブの余韻も落ち着いた頃、「斉藤壮馬よりspace会員のみなさまへお知らせがございます」という文面のメールが届いた。

少し嫌な音を立てて心臓が鳴る。

病気?怪我?活動休止?もしかして辞めるとかじゃないよね?

様々な心配が一瞬で頭の中を駆け巡ったけど、とりあえずメールに添付されたURLをタップする。

 

そのページには彼の手書きの文章が綴られていた。

詳しい内容は会員だけのものなので伏せるけど、入籍の報告だった。

 

入籍?にゅうせき?入籍ってなんだっけ???

 

書いてあることに理解が追いつかず、もう一度文章に目を通す。

入籍、どうやら彼は結婚したらしい。

 

ただただ、びっくりした。

 

人生の半分近くをオタクとして過ごしてるけど、リアルタイムで活動を全力で追っている人が結婚するのは初めてだった。

 

再び文章を見返す。

壮馬さんは度々、自身のことを悪筆だと零していた。

そんな彼が手書きの文章で、自分の人生の大事なことを教えてくれた誠実さがうれしかった。

その日に放送されたラジオでも、きちんと自分の声と言葉で改めて報告してくれたのもうれしかった。

 

だけど、

 

私の壮馬さんに対する「好き」を、どういうふうに自分の中に置いておけばいいのか、わからなくなってしまった。

 

 

壮馬さんは変わらないでいてくれるのに、勝手に置いていかれた気持ちになってしまったり、「今まで通り好きでいていいんだろうか」とか別にしなくてもいい心配をしてしまったり、世界一だいすきなラジオも今までと同じように聴けなくなってしまうんじゃないかという不安に駆られたり、いろいろ考えてしまって、思ってたより何倍も情緒がぐちゃぐちゃになってしまった。

推しが結婚するって予想以上に一大事なんだな……と思った。

 

そんな時に今回読んだ本を手に取ったのは、良くない言い方だけど自傷行為のつもりだった。

主人公は私と同性で同年代で、仕事、恋愛、家族の介護、友人との環境の差、それに対する嫉妬心……普段私自身があんまり考えないようにしてる悩みや問題に直面していた。

どうせなら、結婚という事柄に対してめちゃくちゃナーバスになってしまったこの機会に、それも含めた普段目を逸らしていることを自分に突きつけてやろうと思ったのだ。

 

物語の終盤、主人公の都は食事に入った店で近くの席に座っているサラリーマン男性の言葉を耳にする。

 

「明日死んでも悔いがないように、100歳まで生きても大丈夫なように、どっちも頑張らないといけないんだよ!」

 

私は、いつしぬかなんて分からないからなるべく今好きなものに全力でいたいし、たとえ明日壮馬さんへの熱が覚めたとしても、「あの時間は楽しかった。あの時壮馬さんを好きでいてよかった」と思いたいと思って彼の活動を追っていた。

「これから先も壮馬さんのことが好きな自分」はそういう時間が重なった上で成り立つものだと思っていた。

 

毎日聴いていたはずの壮馬さんの歌声が、心に引っかからず流れていくのがしんどくて、聴かないようにしてみたら壮馬さんの声を聴かなくても別に生きていけるんだと痛感してしまって、それもしんどくて。

でも、もし100歳まで生きられるならそういう日があっても不思議じゃない、かも。

明日死んじゃう可能性は、まぁ常に頭の片隅には置いとかなきゃだなとは思うけど、100年生きられるかもなのに途中で息切れしたり酸欠になっちゃったら、それだってしんどい。

だから、むりに全力で好きでいなくても、きっといい。

 

 

彼の声を聴かなくても生きていけることには気づいてしまったけど、明日死んでも100年生きても壮馬さんは私の世界にいてほしい人だから。