足跡

好きになったら激重感情しか持てないオタクの自己開示の練習所兼備忘録

手紙


拝啓 

 

15年と1ヶ月前の私へ

 

2009年3月1日、あの会見を見終わったあなたは、大泣きしていることでしょう。

私のオタク人生において最初にして最大のトラウマができてしまった日。
メジャーデビューから3日しか経ってないのに大好きなグループが終わってしまった日。
信じるとか願うとか、そういう段階の前に「永遠はないから」って突きつけられた日。

ただただつらくて、なにが起きたのか分かりたくなくて、どうしてなのかも、どうしたらいいのかも分からないよね。
理解も納得もしたくないよね。
でも、決まってしまったことをどうにか受け止めて飲み込もうとするしかなくて。
それ以外のやり方が分からなくて。
みんなのこと好きだから、応援したくて。

 

でもね、上手くいかないの。

 

まずあなたはこれから7月のライブのチケットを手に入れることはできるけど、啓司さんには会えません。
5月の広島公演で怪我しちゃうの、啓司さん。
だから、あなたがなによりも見たかった、大好きな7人のパフォーマンスを見ることはできません。
初めて行くライブは楽しいよりも寂しさの方が大きいでしょう。

 

その後も彼らの変化を受け入れられてますよって顔をしながら、がんばって応援するし、それと並行して大好きな7人にいつかまた会える日を信じて待ち続けるけど、3代目とSECONDで別れての活動になっちゃうし、その糸はある日プツッと切れて、もうこれ以上、上手に応援できないって思ってしまって、離れることを選んでしまうの。
「もう待たなくてもいいんだ」「もう応援しなくていいんだ」っていう安心感を感じてしまうくらい疲れちゃった。
ごめんね。

 

しかもね、離れたあとにはなるんだけど、あなたの大好きな啓司さんはね、ステージから降りちゃうの。
今の私からしてもショックだなーって思う理由で。
悲しかった。

 

昨日までのあなたには夢がいっぱいあったよね。
ファンクラブができたら入ること、リリイベに行くこと、大きい会場で単独でライブをやること、それに行くこと、彼らを通じて出会った人たちと仲良くなること。
すぐには無理だったかもだけど、進学して生活の自由度が増したら当たり前に全部できると思ってたよね。
永遠なんてないって知る前にずっと応援したいなって、もっと思いたかったよ。

 

でも15年てね、長いんだよ笑
埋めてくれる人たちに出会っちゃうんだよ。

 

まず、18歳で好きになる芸人さん。
私は初めての就職先で仕事環境に恵まれなくて、生きるモチベーションがなくなりそうになっちゃうんだけど、あのふたりが笑わせてくれて、人生でいちばん美しい景色を見せてくれたから、今でも生きてるよ。
それからその少しあと、ふたりを好きなおかげで大好きで最高な友だちたちとの出会いも待ってるよ。
一緒にお笑いライブ見に行くのはもちろん、それ以外でも楽しいことたくさんたくさん一緒にやってくれて、いつも私の「好き」を見守ってくれる優しい人たちだよ。

 

お笑いのライブにはよく行くようになるけど、いわゆる音楽のライブにはもう行くことはないんだろうなって思うようになります。
友だちが好きなバンドやアイドルに会いに行ってるの、すごく羨ましかった。
だけどあの日、啓司さんに、7人に会いたくて、さみしくて悲しくて悔しくて泣きながら帰った大阪城ホールにまた連れて行ってくれるコンテンツにも出会えるよ。
「ライブ」が楽しい場所だってこともちゃんと思い出せるよ。

 

あとね、これからあなたは自分に無意識に呪いをかけちゃうと思う。
好きだった曲たちを聴いてもつらいだけだって。
7人を好きなことはいつしか「悲しい」の感情と紐づいてしまう。
でも、そんな呪いを解いてくれる人にも出会えるよ。
メジャーデビューアルバムの発売日、予約したCDを取りに連れて行ってもらって、うれしくて帰りの車で「この日のことはずっと忘れないんだろうな」って思ったでしょ?
今日をを迎えるまでの応援するワクワクした気持ちは本物だったでしょ?
単独は叶わなかったけど、3代目との合同ライブはね、あったの、行けたの。
夢みたいに幸せな時間だった。
その人の言葉が悲しい思い出だけじゃなかったよって思い出させてくれるし、ずーっとしまい込むことも捨てることもできずにいた彼らへの気持ちに名前をつけてくれるの。
それだけじゃなくて私が2009年の2月25日に感じた幸せをもう一度味あわせてくれた、大事な人。

 

それからね、今の私には大好きなグループがいるの。
この15年間で出会った他の好きなひとたちは、自分が好きなことしてる人を私が勝手に好きでいる感覚がほとんどだったんだけど、なんていうか「応援したい!」って思える人たちなの。
まだ応援し始めて2ヶ月くらいなんだけど、すっごく楽しい。
ファンクラブに入ったり、過去のCDやライブ映像集めたり、歌番組の出番に間に合いたくて定時ダッシュで帰宅したり、バラエティ番組の出演情報チェックして録画しまくったり、新曲発売のときのおっきいポスター撮りにタワレコ行ったり、ポップアップストアで写真いっぱい買ってながーいレシートもらったり、雑誌の表紙を飾ったら発売日に買って帰ったりとかね。
15年前と違ってSNSも発達してるから本人からの発信やメンバー同士のやり取りにはしゃいだりもしちゃってね。
きっと昨日までのあなたが「いつか」って夢見てたのに近いかたちで応援できてると思う。

 

でもね、彼ら今日で終わっちゃうんだ。
メンバーが1人抜けて、明日からグループ名が変わるの。
ついでに言うなら最初は元々5人のグループだったのが4人になってるの。

 

彼らのことはね、ここ1年くらいずっと良いグループなんだなぁって思ってた。
惹かれた理由はひとつじゃないんだけど、多分いちばんは5人から4人になったあとも見送った1人のことを大切に思ってるっていうのが遠くから見てても伝わってきたから。
前を向きながら過去も大事に抱き締めるグループなんだって思ったから。
でも私が応援するグループはあの7人が最初で最後だって当たり前みたいに思ってたから、良いなぁって思ってるだけだって思ってた。

 

だけど、今年の1月8日にTwitterのトレンドに踊ってる文字列を見た瞬間、あの会見を見たときと同じように心臓の奥から冷たいものがこみ上げてきて、自分でもすごくびっくりした。
これじゃまるで彼らのこと好きになってるみたいって。
表面張力ってあるでしょ?
いつの間にかフチのギリギリまで水は貯まっていて、あまりにも残酷なきっかけとタイミングで零れちゃった。

 

そこから1ヶ月くらいはね、自分がどうしたいのかが分からなくて。
いや本当は分かってたけど、怖くて。
また上手に応援できなくなったらどうしようって。
ていうか今更応援し始めたところでなんになるのかって。
だから最初は遠ざけるつもりだったの。
これ以上、彼らに心を砕くことがないように。
でも零れちゃった水ってもう元には戻れないんだよね。
 

観念して彼らが選ぶ変化を、ぜんぶ承知の上で応援するって決めたの。
大好きな友だちたちも背中を押してくれたから。
3月が終わっても上手に応援できるかどうかはとりあえず二の次にしようって。
だから今はたくさん好きになってたくさん泣こうって。

 

残された時間で彼らはたくさんの言葉を届けてくれたよ。
その中のひとつを伝えるね。
「終わらせることでSexy Zoneは永遠に5人なのは変わらなくなる」って。

 

 

拝啓

 

15年と1ヶ月前の私。

 

永遠はないからっていう理由での大好きな人たちの変化を受け止め切れずに泣くことしかできなかった私。

 

 

今日、これから私は永遠を手に入れるための終わりを見届けるよ。
さみしいし、上手にできるかどうかが正直やっぱりちょっと怖いけど、明日からの彼らのことも応援したいと思ってる。
12年のうちのたった2ヶ月しか知らないのにそう思わせてくれたくらい素敵な人たちなんだもん。

 

だから、今は悲しい気持ちだと思うけど、これから出会えるたくさんの「好き」を大事にして、めいいっぱい楽しんでね。
その分、悩んだり泣いちゃうこともたくさんあるけど、今となっては笑い話だったり、いい思い出って思えてることがほとんどだからね。

 


今の私は大好きだった人を「大好きだった」って笑顔で言える私になってるよ。

 


2024年3月31日、20時より少し前の私より

 

 

あと70年くらいあるもんな

 

山本文緒さんの「自転しながら公転する」を読んだ。

 

 

 

私がこの本を手に取る1ヶ月ほど前、私の推しである斉藤壮馬さんが入籍したことを公表した。

 

ずっと浸っていたかったアーティストデビュー5周年ライブの余韻も落ち着いた頃、「斉藤壮馬よりspace会員のみなさまへお知らせがございます」という文面のメールが届いた。

少し嫌な音を立てて心臓が鳴る。

病気?怪我?活動休止?もしかして辞めるとかじゃないよね?

様々な心配が一瞬で頭の中を駆け巡ったけど、とりあえずメールに添付されたURLをタップする。

 

そのページには彼の手書きの文章が綴られていた。

詳しい内容は会員だけのものなので伏せるけど、入籍の報告だった。

 

入籍?にゅうせき?入籍ってなんだっけ???

 

書いてあることに理解が追いつかず、もう一度文章に目を通す。

入籍、どうやら彼は結婚したらしい。

 

ただただ、びっくりした。

 

人生の半分近くをオタクとして過ごしてるけど、リアルタイムで活動を全力で追っている人が結婚するのは初めてだった。

 

もう一度、FCにアップされた文章を見返す。

壮馬さんは度々、自身のことを悪筆だと零していた。

そんな彼が手書きの文章で、自分の人生の大事なことを教えてくれた誠実さがうれしかった。

その日に放送されたラジオでも、きちんと自分の声と言葉で改めて報告してくれたのもうれしかった。

 

だけど、

 

この日を境に、私の壮馬さんに対する「好き」のかたちが変わってしまったような気がして、それを飲み込むのがこわかった。

 

壮馬さんは変わらないでいてくれるのに、勝手に置いていかれた気持ちになってしまったり、「今まで通り好きでいていいんだろうか」とか別にしなくてもいい心配をしてしまったり、世界一だいすきなラジオも今までと同じように聴けなくなってしまうんじゃないかという不安に駆られたり、いろいろ考えてしまって、思ってたより何倍も情緒がぐちゃぐちゃになってしまった。

推しが結婚するって予想以上に一大事なんだな……と思った。

 

そんな時に今回読んだ本を手に取ったのは、良くない言い方だけど自傷行為のつもりだった。

主人公は私と同性で同年代で、仕事、恋愛、家族の介護、友人との環境の差、それに対する嫉妬心……普段私自身があんまり考えないようにしてる悩みや問題に直面していた。

どうせなら、結婚という事柄に対してめちゃくちゃナーバスになってしまったこの機会に、それも含めた普段目を逸らしていることを自分に突きつけてやろうと思ったのだ。

 

物語の終盤、主人公の都は食事に入った店で近くの席に座っているサラリーマン男性の言葉を耳にする。

 

「明日死んでも悔いがないように、100歳まで生きても大丈夫なように、どっちも頑張らないといけないんだよ!」

 

私は、いつしぬかなんて分からないからなるべく今好きなものに全力でいたいし、たとえ明日壮馬さんへの熱が覚めたとしても、「あの時間は楽しかった。あの時壮馬さんを好きでいてよかった」と思いたいと思って彼の活動を追っていた。

「これから先も壮馬さんのことが好きな自分」はそういう時間が重なった上で成り立つものだと思っていた。

 

毎日聴いていたはずの壮馬さんの歌声が、心に引っかからず流れていくのがしんどくて、聴かないようにしてみたら壮馬さんの声を聴かなくても別に生きていけるんだと痛感してしまってそれもしんどくて。

でも、もし100歳まで生きられるならそういう日があってもなにも不思議じゃない。

そういうふうに考えを持っていけるようになったと思う。 

 

 

明日死んじゃう可能性は、まぁ常に頭の片隅には置いとかなきゃだなとは思うけど、でも長生きできるかもなのに途中で酸欠になっちゃったら元も子もないよなと思えた読書体験だった。

彼の声を聴かなくても生きていけることには気づいてしまったけど、明日死んでも100年生きても壮馬さんは私の世界にいてほしい人だから。

雨のち夕日のち、雨

 

雨は好きじゃない。

濡れるし、傘は荷物になるし、洗濯物干せないし、髪の毛もまとまらないし。

だけど私の好きな歌とか物語って大抵雨が出てくる。

これは、その中でいちばん特別なやつの話。

 

 

まずは2013年の私のことから。

専門学校を卒業して当時の夢だったパティシエとしての1歩を踏み出したところだった。

菓子製造職の1年目なんてどこに行っても厳しいもんだと思うけど、どうやら私はそれを差し引いてもハズレを引いてしまったらしかった。

休みは週1、辞めるまでの8ヶ月、朝の8時に始業して、日付を跨ぐ前に帰れた日の方が少なかったと思う。

始業してからノンストップで働いて、やっと休憩を取れたのは18時頃なんていうことも珍しくないくらいにはあった。

報連相のできないオーナー、残業代なんてつかない(いちばん労働時間多かった月の時給計算したら430円くらいだったのを覚えてる)、予告なしに支払いの遅れる給料、巻き込まれる人間関係のゴタゴタ。他にもここには書ききれないくらい、いろいろあった。

正当な手順を踏まずに飛んだ人も、見かねた親に実家に連れ帰られた人もいたけど、まあそうなるよねって感じだった。

私も実際に行動に移すことはなかったものの、休憩時間にコンビニにご飯を買いに行って「このまま職場に戻らなかったらどうなるんだろう……」なんてよく考えていた。

食生活にもまったく気を使ってなかったのに気づけば10キロ近く痩せていて、退職後にしばらく休息を経て、転職活動の際に袖を通したスーツはブカブカでびっくりした。

 

自ら飛び込んでしまったのがそんな環境で、自由な時間とバイト代を気ままに使っていた学生時代とのギャップが激しすぎて私の心はどんどん疲弊していった。

大好きなアニメやお笑いのライブを見たいという気持ちはあっても、心に余裕がまったくなかった。

 

学生時代の私は当時の渋谷ホールのレギュラーライブに出ていた芸人たちに夢中で、配信は見れる限り見ていたし、その中の有名どころが大阪の劇場に来るとなれば足を運んでいた。

そこから縁あっていちばん好きになったのがクレオパトラだった。

クレオパトラはあんまり大阪に来る機会には恵まれてなくて、専門学生時代1年生の後半くらいからは新幹線やら夜行バスに乗って私の方から東京に足を運ぶようになっていた。

 

その時のクレオパトラは順番に過去の単独公演のリメイク再演をやっている最中で、20136月に開催される「色彩オーケストラ」を私はどうしても見たかった。

 

元々は2010年の夏の単独公演で、2011年の冬には神保町花月でのお芝居にもなっていた。

私は単独の方の色彩オーケストラのレポブログを読んだのもクレオパトラに興味を持ったきっかけのひとつで、神保町花月の色彩オーケストラも思い出深い公演だったのでどうにか行きたかった。

それを心の支えに日々を必死で過ごしていた。

日曜日に休みをとることを渋られつつも61週目の日曜日、それまでの感覚からしたら久しぶりの東京に足を運んだ。

 

公演の内容は言わずもがな、最高だった。

ある日、真っ白になってしまった世界が色彩を取り戻す物語。

すべてが終わったあと、サプライズで告知動画が流れた。

2013106 ルミネtheよしもとにて単独公演決定』

会場内は拍手と歓声に包まれていた。

よしもとの芸人にとっては、ルミネで単独をやることは大きな目標、ステータスのひとつだった。たぶん、今も。

それが叶うのを目のあたりにできる。

その日1日はなにもかもを忘れられるくらいうれしかった。

明日からはまた仕事で、休みをズラしてもらったせいで確か8連勤くらいするハメになってたけど、そんなもんだってこのうれしさのおかげでへっちゃらだと思っていた。

夜行バスで関西に戻って仕事に向かう。

イヤホンからはシャッフル再生でTHE BACK HORNの夢の花(色オケのEDに使われてた)サカナクションアルクアラウンド(初めて観に行った単独公演のOPに使われてた)が流れてきて最高だと思った。

 

だけど、現実に戻った私の心と身体は着実に更にすり減っていった。

家と職場を往復するだけの日々、数少ない休みは布団の中で過ごすしかできない。

着ていく場所もない服をネット買っては虚しい気持ちに見舞われたりした。

当時はなんのために生きてるのか本当に分からなくなっていた。

しにたいとはたぶん思ってなかったけど、なんのモチベーションも楽しみもなくただ仕事がしんどい毎日が過ぎていくのが本当に辛かった。

人生でいちばん暗い気持ちで過ごしていた期間だと思う。

好きで選んだ仕事のはずだったんだけど。

 

私がTwitterに吐き出す弱音や愚痴とは裏腹に

、ルミネ単独に向けて準備を進めるクレオパトラとそれを楽しみにする人たち。

私の思考はどんどん悪循環をおこしていって、どうせ私はルミネ単独には行けない、クレオパトラのツイート見るのは辛いからもうフォローを外そうか、このままクレオパトラへの好きはなくなるんだろうかと考えたりした。

そんなわけでTwitterを開いてもほぼTLは見なくなっていたのだけど、ある時ひとつのアカウントが目に入った。

 

クレパトnet

 

ルミネ単独までの期間限定でそれまで他のライブだったりの情報を発信するという、いちファンの方によるアカウントだった。

最初の方はめちゃくちゃ腹が立っていた。

私はこんなに辛いのに、クレオパトラの単独に行けないかもしれないのに、浮かれてる人たちの存在が気に触ってしまった。

完全に八つ当たりである。

だけど、ある時なんとなくクレパトnetさんが作ったツイートのまとめを見た。

6月に見に行った色彩オーケストラの感想たち。

楽しかった、おもしろかった記憶。

ルミネ単独がうれしくて楽しみな気持ち。

クレオパトラの単独が楽しみ、クレオパトラに満員のルミネを見せたい、そんな思いに私は少しずつ当てられていった。

やっぱりクレオパトラが好きだ、私も単独に行きたい。

ギリギリ諦めずにいられたのは当時はフォロワーでもなんでもなかった他のクレオパトラを好きな人たちの声のおかげだった。

 

私は上司と交渉の末、106日はお昼の12時まで仕事をして、翌日7日はお昼の12時に出勤するというむちゃくちゃだけどどうにか単独とその後のオールナイト打ち上げライブにも行けるスケジュールをこじ開けた。

学生時代もまあまあむちゃくちゃなスケジュールで動くことは多々あったけど、今思えばいちばん頭おかしい時間の開け方の遠征だったと思う。

 

そして単独公演当日、私は初めてルミネの客席に足を踏み入れた。

チケットの半券と引き換えにランダムで4枚のトランプを渡される。

公演中に使う場面があるらしい。

 

内容について、当時は口外禁止のお触れが出てたけど、10年経つしもう時効じゃないですかね。

そうじゃないなら、このブログが長谷川さんに見つからないことを祈りましょう。

 

予告のコピーにあった通り『雨の降り止まない世界』を舞台にコントが繰り広げられる。

クレオパトラの記念すべきルミネ単独公演『メルヘンパラソル夕日論』はずーっと雨が降り続ける世界で夕日を見るために研究を続ける科学者のジジイと、なんだかんだそんなジジイのことが好きなババアの愛の物語だ。

終盤、ババアに夕日を見せるという願いを叶えたジジイは死んでしまうのだが、ゲストのマジシャン大地さん扮する死神に生き返りのチャンスをもらう。

その条件は奇跡を起こすこと、客席を巻き込んだ手品の成功だ。

 

客席の明かりが点いて入場時に配られたトランプを取り出すよう指示が出る。

4枚のトランプは半分に破って8枚に。

その後も指示は続き、入れ替えて混ぜて、そのうち1枚はポケットに。

更に入れ替えて混ぜて何枚か投げ捨てたりもして、最終的に手元とポケット、半分のトランプが1枚ずつ残った。

 

「今みなさんが手に持っているトランプとポケットに入っているトランプ、ここにいる全員の分がぴったり一致すれば、それは奇跡だと思いませんか?」

 

「僕が合図したらポケットに入れたトランプを出して見てください。もし、そのトランプがみなさんの手元のトランプの片割れなら思いっきり上に投げてください。それでは……せーのっ!」

 

次の瞬間、大歓声と共に客席にトランプと拍手の雨が降り注いだ。

手品は大成功、奇跡は起こったのだ。

ルミネの客席に舞うトランプを見ながら、私は泣いていた。

10年経った今でも変わっていない、あの光景が私の今までの人生でなによりも美しい景色だった。

 

そして、きっちり笑いを含んだオチで物語は終わりを告げ、エンドロールが流れる。

amazarashiの千年幸福論。

その間も降り止まない雨の様に拍手が途切れることはなかった。

私も必死に手を叩きながら、ずっと涙が止まらなかった。

当時の私は、仕事がしんどい以外の理由で泣くことなんてほぼなくなっていた。

こんなに幸福で、温かい気持ちで、感情で、流せる涙があるんだと思った。

自分が今置かれている環境のせいでこういう瞬間を見逃すことになるなら、抜け出したい。

しばらくの間、真っ暗な場所に沈んでいた心に光が差し込んだ感覚がした。

 

 

その後、多少の躊躇いや葛藤はあったけど、私はオーナーに退職したい旨を告げることができた。

これを機に製造職からは離れてしまい、小さい頃からの夢だった道を絶つ結果になってしまったのは私の気持ちに影を落とすこともあったけど、10年経った今ではどうにかちゃんと折り合いもつけられている。

 

あの日浴びた、世界一美しいトランプと拍手の雨は今でも私の心の奥底に降り続いている。

雨は好きじゃない。

なるべく晴れててほしい。

だけどこの雨だけは、どうかずーっと降っててね。

 

 

わたしの色彩オーケストラ

 

 

※この文章は自分向けに書き残していたお気持ちを清書したものです。

※あれから2年経つのと、今ちょっと推しに対して情緒不安定なんだけど、これを書いたときの気持ちに絶対に嘘偽りはないっていう証を残したくて公開します。

 

 

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2021年、春。

世界の状況が一変して1年が経つ頃、私は今までの人生でいちばん情緒不安定な4月を過ごしていた。

 

3回目の緊急事態宣言が出るかもしれない、そうしたらイベントの開催に制限がかかるかもしれない。

5月2日に斉藤壮馬LIVE TOUR2021「We are in bloom!」の大阪公演に参加して、5月8日にミュージカル刀剣乱舞「東京心覚」を観劇する予定だった私にとっては死活問題だった。

 

ここではその話は端折るけど、私にとって好きな歌手のライブに行くということは、ずっと無意識にもう二度とないと思っていて、特別なことだった。

だから私は好きになってから初めて開催される斉藤壮馬のライブにどうしても行きたかった。

このライブツアーに行けなかったら、今後彼を応援する上で心に消えないしこりが残る気がして、それが嫌だった。

 

半年前には刀ミュでいちばん大好きで特別な公演である「幕末天狼傅」の再演のチケットを払い戻していた。

仕方ないことだったのは分かってるけど、これからもきっと一生引きずる。

天狼傳に限らず、私はこの1年の内に行くはずだった現場のチケットは全部払い戻してる。

もうこれ以上、あんな思いはしたくなかった。

 

 

4月17日、福岡公演からツアーはスタートした。

ライブグッズも手元に届いてこの頃まではどうにかはしゃげていた。

 

 

4月22日、誕生日ということでFCで生配信をしてくれた。

友人が付き合ってくれて、ケーキを食べて1stライブの円盤も一緒に見てもらって、本当に楽しかった。

不安な気持ちが少しだけやわらいだ。

余談ですが、この友人は私にハイキュー!!を教えてくれた人で、私はそれで斉藤壮馬さんの名前を知ったので彼女が巡り会わせてくれたといっても過言ではないです(?)

ありがとう。

 

 

4月23日、3回目の緊急事態宣言の発令が決まった。

期間は5月11日まで、ライブ開催地である大阪も対象に入っている。

イベントは無観客以外の開催に休止を要請するという文言は嫌でも目に入った。

 

 

4月24日、この日は名古屋公演。

ライブ終演後に大阪公演の開催については明日お知らせしますというツイート。

覚悟しなきゃいけないと思いつつも、できる気がまったくしなかった。

5月8日に観劇予定だった刀ミュはこの時点で中止のお知らせが出ていた。

 

 

4月25日、仕事だったけど周りに誰もいないときはほぼ泣いていた。

だめな社会人過ぎる。

夜になると延期、もしくは中止のお知らせがアップされた。

私は5月2日、斉藤壮馬のライブに行けない。

 

 

4月28日、この日はダメラジ放送日。

相方に音楽活動が楽しいとうれしそうに話しているのを聴いてべそべそに泣いた。

 

 

4月29日、この日はオッドタクシーの配信イベントを見た。

全然泣く内容じゃないのに泣きながら見ることしかできなかった。

当たり前過ぎるんだけど大阪公演がなくなったことなんか微塵も感じさせない態度だった。

イベントを見終わったあとは本当はライブ当日に備えてのはずの美容院だった。

終始涙目で縮毛矯正の施術を受ける客に美容師さんはさぞかし困惑したでしょう。

すみません。

 

 

4月30日、個人ラジオの放送日。

大阪公演の中止は決まってない世界線にいる彼は楽しそうに初日の感想を語っていてまた泣いた。

ここ数日であまりにも泣きすぎて目の周りが痛かった。

 

 

そして5月2日。

この日を家でひとりで過ごすことが無理すぎると判断した私はとある友人グループに通話に付き合ってもらって気を紛らわすことにした。

事情を聴いた友人たちは慰めてくれて、私が言語化できずに抱えていたモヤモヤを言い当ててくれて、それを聴いた私は泣いて、楽しい話もいっぱいして、深夜1時くらいに再び泣き始める面倒なオタクに付き合ってくれて本当にありがたかった。

この人たちが友だちでよかったと心から思った。

ーーー𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬

 

 

5月7日、個人ラジオの放送日。

大阪公演がなくなったあとの収録だとわかってたから、聴くのが怖かった。

「さみしいけどどうやって次に繋げるか前向きに考えてる」と言ってくれて、私も泣いてばっかりじゃだめだなって思った。

 

 

5月8日、ミュージカル刀剣乱舞「東京心覚」を観劇するはずの日だった。

大阪公演の中止に伴って、初日の再配信をしてくれるのがちょうどこの日だったので見ることにした。

 

 

「東京心覚」には今までの刀ミュの公演と違う部分がいくつかあった。

その公演に出陣する刀剣男士は6振りではなく8振りで、ひとつの時代にひとつの任務での出陣ではなくて、そして話の内容にとてもメタ要素が含まれていた。

細かい内容は置いておくけど、この公演の主人公ポジションである水心子正秀は任務の中で思い悩む。

 

 

「たくさんの人が悲しい思いをしている」

「私が守ろうとしている歴史は、未来は、守るべき価値があるのだろうか」

 

 

その歴史には2021年、コロナ禍の「今」も含まれている。

そして終盤、2205年という舞台上にいる水心子は客席の、画面越しの私たちに語りかける。

 

 

「君はここに来たかったんだね」

「もしかしたら来ないことを選んだろうか」

「悔しかっただろうね」

「どんな決断であろうと君の決断を尊重するよ」

「来た人、来れなかった人、来ることを選んだ人、来ないことを選んだ人」

「みんな何が正しいかなんてないんだ」

「君の想いはとどいてるからさ」

「ありがとう」

「それから…お願いがあるんだけど、」

「どうか傷つかないでほしいんだ」

「この時代に、現実に、君自身が選んだことに」

「伝わるかなぁ…伝わるといいなぁ」

 

 

 

5月13日、大阪公演の中止が正式に決まった。

それと同時にいくつかのお知らせが出た。

ひとつは5月23日、東京で行われる千秋楽のライブ配信の詳細、もうひとつは東京公演の払い戻し席を再販するというもの。

 

5月23日は元々千秋楽の配信を見るつもりで休みは取ってあった。

 

きっと正しい行動ではない。

緊急事態宣言は出てるし、ワクチンもまだ打っていない。

罪悪感も迷いも恐怖もあったけど、数日前に聴いた水心子の台詞は私の背中を押した。

 

 

誰かに「行っていいよ」って言って欲しくて、壮馬さんの誕生日を一緒に過ごしてくれた彼女にだけ行くことを打ち明けた。

「楽しんできて!」って言ってくれて本当にありがたかった。

 

 

5月23日、数年ぶりに新幹線に乗った。

品川駅に降り立っただけで涙が出そうだった。

会場に近づくにつれて、目的地が同じであろう人が周りに増えていく。

中に入ると、伝わるかわかんないけどあのライブ会場特有の霧がかったようなぼやけた空気がそこにはあって、久しぶりに味わう感覚にまだ泣くには早いと必死で上を向いた。

永遠のような一瞬のような開場から開演までの時間が過ぎ去って、ライブが始まる。

客席の明かりが落とされて、みんなが立ち上がって、ペンライトが灯り、会場はミントグリーンの光で満たされた。

 

 

1曲目、フィッシュストーリー。

泣かない方が無理だった。

念入りにした化粧はたぶん30秒くらいで流れ落ちたと思う。

個人的に絶対に絶対に絶対にこの曲で始まってほしいと思っていた。

壮馬さんを好きになってから、七色の夜に連れ出してもらえる日をずっと待っていた。

 

 

シュレディンガー・ガール、デート、MCを挟んで、夜明けはまだ、ペトリコール……

 

約1年半ぶりの現場、約10年ぶりの好きな歌手のライブ。

楽しくペンライトを振ったり、MCで笑ったりしながらも、頭の片隅にある「本当に来てよかったんだろうか」という気持ちはずっと拭えなかった。

 

 

もう一度MCを挟んでmementから壮馬さんもギターを弾くパートが始まる。

MVでも使われていたピンクのテレキャス

そのあとエピローグを歌い終わって、一度ステージ上は暗くなって、次の曲が始まるまで少し間があいた。

再び明るくなったステージには白いギターに持ち替えた壮馬さんが立っていて、パレットのイントロが流れた。

「あ、パレット歌うな」と分かった瞬間、びっくりするくらい涙が出てきた。

一瞬の静寂、壮馬さんのシャウト、ギターとドラムの爆音。

LEDのパネルには絵の具が広がる映像が映し出されて、それらを浴びた瞬間、ペンライトを振るのもままならないくらいに泣いてしまった。

 

 

 

正しいとか間違いとかじゃなくて、この瞬間のために私は今日ここに来たんだと思った。

 


バンドメンバーさんはみんな黒い服を着てて、壮馬さんの衣装とギターだけが白くて、それがスポットライトで照らされて色づいて、LEDの映像も鮮やかで、本当にきれいだった。

 

 

本編ラストの曲はいさなだった。

「最後の曲です」って言われて「嘘でしょ!? 体感10分くらいなんですけど???」って泣きながら思った。

CDの音源で聴いてるときは「この曲をライブでやるとしたとして、ペンラを振るような曲ではないのでは……?」って思ってたけどそれは大間違いだった。
青いペンライトの光で染まった会場は、まるで海の中だった。

名残惜しいのと、どうしようもなく優しい歌声にまた泣いた。

 

 

アンコールではSummerholic!とcarpoolを歌ってラストは最後の花火だった。

私は壮馬さんの作った楽曲の中で最後の花火がいちばん好きで、絶対に絶対に絶対に最後はこの曲で締めてくれると信じていた。

またべそべそに泣いてしまうかと思ったけど、この曲はちゃんと笑顔で聴けた。

 

 

私がこの曲がいちばん好きな理由はいろいろあるんだけど、そのひとつがメッセージソングを書かないと決めている彼が「次」への想いを込めて作ってくれた曲だからだ。

コロナ禍だろうとそうでなかろうと、応援している人が心身ともに健康で、じぶんの望むかたちで元気に活動してくれて、私も向こうも同じ熱量をもったまま「次」も会える機会があるというのは本当にすごいことなのだ。

この先のことがどうなるかなんてわからないけど、私は斉藤壮馬さんが提示してくれる「次」を信じて、期待して、待つことができているのが本当にうれしい。

これからも何度だって「さよならはまだ次にとっておくよ 」「ほら また光るよ」って歌ってほしいと思う。

 

 

 

話は少し逸れたけど、こうして私の久しぶりのライブは終わった。

東京公演が開催できて、ライブに参加した他の方、関係者の方、そして私自身が感染しなかったのはあくまで結果論だということは肝に銘じているつもりで、私が取るべき行動は自宅で大人しく配信の方を見ていることだった。

それでも、あの日ライブに行く選択をしたのは正しくはなくても、私にとっては絶対に間違いじゃなかったと思っている。

 

本当に行ってよかった。

 

 

世界に色が戻るってきっと、ああいうことだと思う。

 

 

 

 

 

 

灯火のゆくえ

 

去年の12月、久しぶりにお笑いのライブに足を運んだ。

私がいちばん好きな芸人クレオパトラ、彼らの結成20周年の単独公演だ。

 

お笑いにがっつり興味を持ったのは高3の冬。

クレオパトラの存在をちゃんと認識したのはその次の春。

そこから私の人生の1/3以上に彼らは居座っている。

 

前回の単独公演は2018年の9月。

落語のコントのうさぎの餅つきのくだりで表情筋がつりそうなくらい笑ったのをよく覚えている。

youtu.be

 

単独終了後に長谷川さんはブログで「今までで最高の単独ができた」「今できることはやりきったのでまた2年後くらいに単独公演をやりたい」と書いていた。

 

そして単独が終わった3週間後くらいに、長谷川さんのお絵描きツイキャスを見ていた。

視聴者は私1人しかいなくて、ちょうど台風がすごい日で「大丈夫ですか?」と聴いてくれた。

お絵描きはなにも考えずに「うさぎ」ってお題をリクエストしたんだけど、長谷川さんは単独公演でやったあの落語のコントに絡めた絵を描いてくれた。

楽しみにしていた単独が終わってしまって、ちょっと気持ちの落ち込みもつよい時期だったんだけど、単独公演の最後の「明日、誰かに話そう」というフレーズを聞いたときと同じように心に灯りがともったような感覚になった。

 

「今度単独やるときもクレオパトラを好きな私でいたい」

 

そういう気持ちで次の単独まで髪の毛伸ばそうは、今までにも何回かやっていた。

私にとって変化と終わりはなにより怖いものなので、自分の気持ちが変わってしまうことにはいつも怯えていたのだ。

 

「次も現時点で悔いはない、最高のものができた、そう思えるものになりますように」

 

ものすごく自己満足だけど、その気持ちをなにかに込めたくて、私はまた次の単独まで髪を伸ばそうと決めた。

2年後にはまた客席でそれを見届けたかった。

 

 

 

最後にクレオパトラを観に行ったの自体は2019年の12月だった。

年末によくやっていた忘年会ライブ。

ライブを見て、終演後に友だちとお喋りをして、時間に余裕があればご飯も食べたりして、バスタから夜行バスに乗り込んで京都に帰る。

時間とバイト代が使える学生の時は月2とかで観に行っていた。

その頻度が年に数回になっても、私にとっては当たり前のことだった。

 

それから3ヶ月ほどで世界の状況が一変して、その当たり前ができなくなるなんて、知る由もなかった。

 

いろんな当たり前がなくなって、お笑いに限らず劇場での演劇、音楽のコンサートやライブは難しい状況になってしまった。

いろんな人がエンタメの届け方を模索してくれて、クレオパトラもリモートでの公演や配信をやってくれたりした。

だけど、私はやっぱり現場が好きだったし、早く客席から好きな人たちに会えるようになりたかった。

 

2021年の半ばくらいから、ようやくまた観劇やライブに行く機会にも恵まれてきた。

 

5月にはコロナ禍を経て好きになった斉藤壮馬さんのライブを見に行き、11月には久しぶりに刀ミュの観劇をした。

でもクレオパトラを観に行く機会にはなかなか恵まれない。

 

2022年に入る頃、今年の内に20周年の単独公演をやりたいと話していた。

だけど、一向に具体的な日程とかの話は出てこないまま時間は過ぎていく。

長谷川さんは演劇の活動に力を入れていて、桑原さんも別の仕事をしている。

桑原さんが普通の会社に就職してからはクレオパトラとして活動することはどんどん減っていた。

忙しいのは分かってる、2人の予定をすり合わせるのも大変なんだよ、と自分に言い聞かせた。

 

早く日程出してくれないと、仕事の都合で行けないかもしれない。

もしかしたら結局今年は単独公演をやらないのかもしれない。

来年になってもこのままズルズル時間は過ぎていくのかもしれない。

自分の気持ちは「好き」なのか「執着」なのか分からない。

そしてそこにはきっと正直「惰性」も含まれている。

いろんなことを考えてしまい、その度に縋るようにあのツイキャスアーカイブを見返した。

大丈夫、あの灯りはまだ消えていない。

 

伸ばし始めた時は鎖骨あたりの長さだった髪の毛は腰に届くくらいの長さになっていた。

もし行けなかったら、楽しくなかったら、私の願掛けはどうなるんだろう。

 

ようやく日程の告知が出たのは11月の終わり頃で、私は転職先に初出勤5日前くらいで、たまたま休みであることを祈るしかなかった。

今まで経験してきたどんなチケットの当落よりも緊張したかもしれない。

 

新しい職場のシフト表を見て、12月20日のところに×がついてるのを見た時はあまりにも安堵しすぎてすごく怪訝な顔をされてしまった。

 

前日の19日も休みだったので、美容院に行った。

ばっさり、潔く顎のあたりのボブにしてもらった。

私の約4年分のクソ巨大感情がつまった髪の毛はヘアドネーションに出したので、どこかの誰かのウィッグの一部になります。

 

休みが分かった時はうれしかったし、髪の毛も切ってそわそわしたけど、当日の朝、久々にクレオパトラのために東京に出発してもなんだかいまいち実感が湧かなかった。

道中、持ってきた本にもあんまり集中できず、見れていなかったM1をTVerで見た。

みんなすごくおもしろかった。

クレオパトラはもう賞レースには出ないし、芸人としての活動だって年に片手で数えられるような状態だ。

 

おもしろい芸人は世の中にいっぱいいて、私はそれをよく知っていて、もちろんクレオパトラだっておもしろいけど、私はちゃんと今日を楽しめるんだろうか。

そんなことをぐるぐる考えていた。

 

だけど、最後に乗り換えをした電車に乗った瞬間、ちょうどイヤホンから流れてきた壮馬さんの歌声が心にストンて落ちてきて、スイッチが入ったみたいに実感が湧きあがってきた。

 

いつかはあの星の土を この足で踏みしめようって

夢物語はついにもう くだらない現実と化して

グッバイとかハローだとか そんなのどうだっていいよ

さよならを結晶世界に閉じ込めるよ*1

 

 

私は4年ぶりにクレオパトラの単独公演を見に来たのだ。

もしかしたら知らない間に私の感性は変わっていて、これから過ごす時間は楽しくないかもしれない。

なにも刺さらないかもしれない。

下手したら、これが最後だったりする?

 

 

 

だけど、それがなんだ?

 

 

 

誤解を招きそうな言い方だけど、そんな心配事はなんだかすべてどうでもよくなった。

私はずっとずっとずっと、客席からクレオパトラに会いたかった。

 

どれだけ他に好きなひとやものが増えても、「好き」ではなく「執着」に変貌しているものかもしれないけど、おもしろい芸人は他にもたくさんいるけど、消えそうになったこともなくはないけど、ずっとずっとずっと心の真ん中に抱いていた気持ちだ。

 

それが遂に叶うのだ。

うれしい気持ちがようやく心に追いついた感覚。

 

会場の最寄りの駅で電車を降りて、歩いても充分間に合う時間なのに走って向かいたい気持ちでいっぱいだった。

 

 

はやく、はやく、はやく。

 

 

逸る気持ちと上がりそうな息を抑えながらスマホの地図アプリを頼りに会場へ近づいていく。

会場の外には単独のチラシが貼ってある看板がぽつんと立っていて、写真を撮っていると中から桑原さんの声が聴こえてきた。

この階段を降りたら、いる。

どうしよう、ふたりの顔を見たらたぶん泣いてしまう気がする。

来ているであろう友人たちがもういたら恥ずかしいなぁと思いながら会場内に向かって足を踏み出した。

 

中を覗き込むと受付のところには2人がいて、長谷川さんと目が合った。

長谷川さんは少し目を見開いて「お久しぶりです」と言ってくれた。

 

一瞬だけ視界がぼやけたけど、次の瞬間には桑原さんによるチケット代徴収コント(?)が始まり、困惑しているうちに涙はどこかへ行ってしまった。

私も、既に客席にいて私たちのやり取りを見ていた友人たちも笑っていた。

 

着席してからちゃんとちょっと泣いたのはここだけの秘密。

 

単独公演の内容については割愛するが、とっても楽しい時間だった。

長谷川さんは「これはお笑いじゃなくてドキュメンタリー」と言っていたんだけど、なるほどなって思った。

私が好きになったときのクレオパトラとなにも変わっていないとは言えないけど、私が好きでいた12年くらいと地続きで今のふたりがいるのだ。

ちゃんとそう思える時間だった。

 

 

舞台の上にはふたりがいて、客席には私がいて、彼らを通じて知り合えた友人たちが同じ客席で笑っている。

私が大好きで、ずっとまた見たいと思っていた景色がそこにはあった。

最後にあっち向いてホイをしてくれて大喜びした。

 

 

そしてなによりも、当たり前みたいに「次」の話をしてくれたのがうれしかった。

 

 

「次」の機会に私とクレオパトラの時間がまた重なるかは分からない。

「次」の機会に私は今と同じ気持ちは抱いてないのかもしれない。

 

でも、また何年かの時を経て、私と彼らの時間が重なる日が来たらうれしい、そうなってほしい。

少なくとも今そう思っているのは絶対に嘘じゃないからそれでいいと思った。

 

あと、世の中におもしろい芸人はたくさんいるけど、私にとっていちばん大事な存在はクレオパトラだし、これからもそうなんだろうなと思う。

大元を辿れば、変化と終わりが溢れるこの世界で、よしもとを辞めてからも、普段は別々のことをやっていても、年に揃うのが数回だけでも、それでも2人が揃えばクレオパトラでいてくれるだけで私はうれしかったのだ。

 

 

たくさん笑った多幸感と共に夜行バスに乗り込む。

帰ったら仕事に行かなきゃなのは憂鬱だけど、このほかほかした気持ちを抱えて帰路に着くのは嫌いじゃない。

 

願掛けをした甲斐は、きっとちゃんとあったなと思いながらバスの中で心地よい微睡みに身を任せた。

 

 

 

as is : そのままの、現状通りの

 

 

*1:結晶世界/斉藤壮馬

花柄、リボン、レースとか

 

かわいいものが好きだ。

 

好きな色はピンクとオレンジなんだけど、ピンクが好きな理由は「かわいい」からだ。

キャラクターもマイメロ、マロンクリーム、ミニーちゃんとかが好きだし、化粧ポーチもハム太郎とリボンちゃんがいちごと戯れてるめちゃくちゃかわいいやつを愛用している。

 

だけど5年くらい前までは「ピンクが好きな自分」に妙な抵抗があった。

四捨五入したら三十路になる年齢に差し掛かり、「年相応」という言葉に無意識に縛られていたのだと思う。

 

そんな思いが吹っ切れたのはコロナ禍に突入したのがきっかけだった。

緊急事態宣言が出て、しばらくは必要最低限以外の外出を控える生活になった。

職場も休業になって3週間くらいほとんど引きこもって過ごした。

 

6月になっていろんなことに気を付けつつまた外に出られるようになった。

仕事が休みの日に好きなお店のパフェを食べに行こうと思って、久々にちゃんと出かける用意をした。

その時に「いつまた好きに外に出られなくなるかわからないんだから、どうせなら好きな格好をしよう」とふと思った。

髪の毛をみつあみのおさげにして、編まずに残した毛先はコテで巻いて、味気のないゴムの上からそれぞれ白と薄紫のリボンを付けた。

 

ずっとやって見たかったかわいい髪型、すごく、テンションが上がった。

 

そしてある結論に至ったのだ。

 

「いちばん若いのは今だし、そもそも道行く人は私の年齢なんて知らなくね?」

 

それからはいろんな髪型を試した。

羊ヘアに玉ねぎヘア、こないだ出かけたときは思い切ってハーフツインにしてしまった。

10月に推しの出るイベントに行った時は念願のヘアメを予約してピンクのリボンも付けてもらった。

髪の毛が長いうちにいろいろとやってみれたので、すごく満足している。

 

かわいいものが好きだ。

 

今では持ち物はなんの抵抗もなく大抵ピンクを選ぶし、マイメロちゃんとかサンリオグッズも少しずつ手元に増えつつある。

 

これからも弁えなきゃいけないTPOは弁えつつ、自分の好きなかわいいを楽しんで生きていきたいと思う。

 

 

 

河出書房さんが今年の9月に創刊した「スピン」の初号を読んだ。

 

 

私は斉藤壮馬さんのオタクなので、いちばんのお目当ては彼の小説とエッセイだったが、そうでなくてもこの装丁とページ数、執筆陣を踏まえるとあまりにも破格の値段だ。

 

スピンの目次は少し独特だった。

「エッセイ」、「連載小説」、「ショートショート」などにカテゴリが分かれた執筆陣の名前がそれぞれ、あいうえお順に並んでいて、掲載順ではなかったのだ。

(私が知らないだけで他にもそういう本はあるのかもしれないけど)

 

壮馬さんの初小説は目次ではちょうど真ん中あたりにあったけど、ページ数的にはかなり序盤のほうで順番が巡ってきて、「いさな」のタイトルが目に入ったとき、妙に心臓が跳ねた。

言い方に語弊があるかもしれないけど、あてにならない目次っていいなと思った。

 

一文目の文字のひらき方と句読点の場所で「あぁ、まぎれもなく壮馬さんの文章だな」と思い、次いで出てきた主人公の一人称が「俺」という表記で、今までとは違う類の物語がこの先に紡がれているんだなと、どきどきした。

(エッセイなど壮馬さんが自分のことを綴る文章や、彼の書く歌詞に出てくる一人称は基本的にひらがな表記なので)

 

作中には壮馬さんをかたちづくってきたものが散りばめられていた。

今まで作ってきた曲、好きであろう作品。

「血と暴力で紡がれる、愛と家族の物語」は絶対にあの小説のことだ!と、にやにやしてしまった。

ただ、私は最後の花火過激派なので(?)月をグレープフルーツに例える描写が出てきたのには、なんだか妙な気持ちになってしまった。

仲のいい友だちが他の子と楽しそうに喋っていてモヤモヤするみたいな……。

 

いろんな人の作品があると、自分だけの選択だけでは手に取らないような作家さんの作品が読めるのもいい。

いくつかコロナ禍の現代そのままの時空が舞台になっている話もあったけど、作家さんによってそれの表現の仕方が違うのを比べるのが楽しかった。

 

あとは、青山美智子さんのショートショートがかなり好きだった。

ふとした瞬間の中にある救いに生かされている人間なので、とても刺さった。

作中で中学1年生だった彼女が栞を挟んだページに出会ったみたいな瞬間は、今まで私が生きてきた中にもいつくかあって、その内のひとつは今の私が髪を伸ばそうと決めた理由でもあり、また違うひとつは壮馬さんがとあるエッセイで紡いだ言葉に出会ったときだ。

 

その話たちはまた、いつか。