足跡

好きになったら激重感情しか持てないオタクの自己開示の練習所と備忘録を兼ね備えた場所

好きの反対は無関心

 

舞城王太郎さんの「煙か土か食い物」を読んだ。

 

私がこの本を手に取ったきっかけは推しである斉藤壮馬さんが折に触れて紹介していたからだ。

今までにも数度、彼の口からタイトルをきく機会はあったが、この記事を繰り返し読むうちにふと「この本を早く読んでみたい!」という衝動に駆られ書店で手に取るに至った。

私が壮馬さんのオタクじゃなかったら絶対に手を出さなかった本のひとつであると思う。

 

 

文章の癖は強いし、暴力の描写は読んでるだけで痛いし、その部分はいっそ読み飛ばしてしまおうかとも思ったし、展開も主人公の思考もハチャメチャ。

けど謎の疾走感のおけげでチャッチャッチャと読み終わってしまった。

読み終わってから次の本に手をつけるまでは頭の中で四郎がずっとあの口調で喋ってる感覚があってちょっとおもしろかった。

 

あらすじだけ読んだ時点ではミステリやバイオレンスの要素が主軸なのかな?と思っていたけど、奈津川家の背景がひとつ明かされるたびに「家族」について強く考えさせられた。

不思議な読後感だった。

 

私は顔を合わせるたびに結婚やらなんやらの話をしてくる方の父方の祖母にはちょっと辟易しているし、父に威圧的な態度を取られて悲しかったり怖かったりしたことは一度や二度ではないし、障がい者である弟の存在をコンプレックスに思ってしまうことも多い。

けど、それは私が彼らのことを嫌う理由にはならない。

四郎が自分の家族に抱いてる感情は好きとか嫌いで区別できるものではないと思ったし、それは私だって同じだ。

 

まさかこんなしっちゃかめっちゃかな物語に自分のそういう気持ちに寄り添ってもらえた感覚になるとは思わなかった。

 

そして私は一昨年に母方の祖父と叔父、今年の夏に母方の祖母を亡くしている。

4人家族だった母の実家はこの2年の内に叔母ひとりになってしまった。

父方の祖父母もまだ生きているけど、もうかなり高齢だ。

こういうことが身の回りに起きる年齢になったからこそ、この本に出会えてよかったなと思えた気がする。

 

正直好きな話だった、とは言い難いけど忘れられない1冊にはなった。

 

私が髪を伸ばす理由

めちゃくちゃ久しぶりに美容院に行ってきた。

最後に行ったのは確か昨年10月の下旬。

約8ヵ月ぶり…?

 

元々のくせ毛と梅雨の湿気のせいで主に前髪が本当にどえらいことになっていたんだけど、ようやく縮毛矯正を当てられて髪の毛が人権を取り戻しました。

美容院を出て、人権を取り戻した髪をなびかせながら歩きだす瞬間が好き。

 

でも美容院に行くのは嫌じゃないけど苦手。

 

私は美容師さんとのおしゃべりが苦手なタイプの人間なので、だいたい寝るかスマホか雑誌を見ている。

今日は本も持って行ってたけどいまいち内容が頭に入ってこなくて断念。

ていうか、なんで男性美容師さんてお客に対してタメ口の人が多いんだろうか…。

私は仕事のときはもちろん、自分がお客様の立場でも基本敬語なのであまり理解ができない。

美容師さんとのおしゃべりが苦痛な理由のひとつである。

 

そして髪の毛が長いのでシンプルに時間がかかる。

縮毛矯正、トリートメント、そしてちょっとだけカットもしてもらって4時間弱。

途中からスマホも雑誌も見飽きてしまって、ただただぼんやりしていた。

 

カットの時どれくらい切るか聞かれて「揃えるくらいでいいです」って言ったら「まじか」みたいな顔をされた。

 

2018年の秋からとある願掛けで伸ばし続けている髪の毛は今は腰上くらいまである。

願掛けの期間は想定の倍くらいになってしまっているし、そろそろ髪の毛を引き千切りたい衝動にかられたりもするし、隣に座ってた人はボブにしてもらっててちょっと羨ましかったし、でもいざ切るときはすごい名残惜しかったりするんだろうなとか思っている。

 

もはや意地になっている部分や惰性もあるんだけど、好きな本の一説を借りるなら、本当に自己満足なんだけど髪を伸ばすことが私なりの愛と祈りなので。

 

『愛は祈りだ。僕は祈る。』『祈りはそのまま、愛なのだ。』*1

 

これで願い叶う様子なければもしや一生髪伸ばすことになる?とか、いやいや4年近く費やしてるんだからぜってー叶ってくれよなとか、いろんな気持ちがせめぎあっているけど、そういうのもひっくるめて割と楽しく髪を伸ばしている。

髪の毛がめちゃくちゃ長いうちにヘアメというやつもやってみたいなあ。

 

果たして次に美容院行くとき私が美容師さんに告げる言葉は「揃えるくらいでいいです」と「ボブにしてください」どっちなのでしょうか。

 

答えは私が願いをかけているあの人たちの手の中に。