山本文緒さんの「自転しながら公転する」を読んだ。
私がこの本を手に取る1ヶ月ほど前、私の推しである斉藤壮馬さんが入籍したことを公表した。
ずっと浸っていたかったアーティストデビュー5周年ライブの余韻も落ち着いた頃、「斉藤壮馬よりspace会員のみなさまへお知らせがございます」という文面のメールが届いた。
少し嫌な音を立てて心臓が鳴る。
病気?怪我?活動休止?もしかして辞めるとかじゃないよね?
様々な心配が一瞬で頭の中を駆け巡ったけど、とりあえずメールに添付されたURLをタップする。
そのページには彼の手書きの文章が綴られていた。
詳しい内容は会員だけのものなので伏せるけど、入籍の報告だった。
入籍?にゅうせき?入籍ってなんだっけ???
書いてあることに理解が追いつかず、もう一度文章に目を通す。
入籍、どうやら彼は結婚したらしい。
ただただ、びっくりした。
人生の半分近くをオタクとして過ごしてるけど、リアルタイムで活動を全力で追っている人が結婚するのは初めてだった。
もう一度、FCにアップされた文章を見返す。
壮馬さんは度々、自身のことを悪筆だと零していた。
そんな彼が手書きの文章で、自分の人生の大事なことを教えてくれた誠実さがうれしかった。
その日に放送されたラジオでも、きちんと自分の声と言葉で改めて報告してくれたのもうれしかった。
だけど、
この日を境に、私の壮馬さんに対する「好き」のかたちが変わってしまったような気がして、それを飲み込むのがこわかった。
壮馬さんは変わらないでいてくれるのに、勝手に置いていかれた気持ちになってしまったり、「今まで通り好きでいていいんだろうか」とか別にしなくてもいい心配をしてしまったり、世界一だいすきなラジオも今までと同じように聴けなくなってしまうんじゃないかという不安に駆られたり、いろいろ考えてしまって、思ってたより何倍も情緒がぐちゃぐちゃになってしまった。
推しが結婚するって予想以上に一大事なんだな……と思った。
そんな時に今回読んだ本を手に取ったのは、良くない言い方だけど自傷行為のつもりだった。
主人公は私と同性で同年代で、仕事、恋愛、家族の介護、友人との環境の差、それに対する嫉妬心……普段私自身があんまり考えないようにしてる悩みや問題に直面していた。
どうせなら、結婚という事柄に対してめちゃくちゃナーバスになってしまったこの機会に、それも含めた普段目を逸らしていることを自分に突きつけてやろうと思ったのだ。
物語の終盤、主人公の都は食事に入った店で近くの席に座っているサラリーマン男性の言葉を耳にする。
「明日死んでも悔いがないように、100歳まで生きても大丈夫なように、どっちも頑張らないといけないんだよ!」
私は、いつしぬかなんて分からないからなるべく今好きなものに全力でいたいし、たとえ明日壮馬さんへの熱が覚めたとしても、「あの時間は楽しかった。あの時壮馬さんを好きでいてよかった」と思いたいと思って彼の活動を追っていた。
「これから先も壮馬さんのことが好きな自分」はそういう時間が重なった上で成り立つものだと思っていた。
毎日聴いていたはずの壮馬さんの歌声が、心に引っかからず流れていくのがしんどくて、聴かないようにしてみたら壮馬さんの声を聴かなくても別に生きていけるんだと痛感してしまってそれもしんどくて。
でも、もし100歳まで生きられるならそういう日があってもなにも不思議じゃない。
そういうふうに考えを持っていけるようになったと思う。
明日死んじゃう可能性は、まぁ常に頭の片隅には置いとかなきゃだなとは思うけど、でも長生きできるかもなのに途中で酸欠になっちゃったら元も子もないよなと思えた読書体験だった。
彼の声を聴かなくても生きていけることには気づいてしまったけど、明日死んでも100年生きても壮馬さんは私の世界にいてほしい人だから。