足跡

好きになったら激重感情しか持てないオタクの自己開示の練習所と備忘録を兼ね備えた場所

灯火のゆくえ

 

去年の12月、久しぶりにお笑いのライブに足を運んだ。

私がいちばん好きな芸人クレオパトラ、彼らの結成20周年の単独公演だ。

 

お笑いにがっつり興味を持ったのは高3の冬。

クレオパトラの存在をちゃんと認識したのはその次の春。

そこから私の人生の1/3以上に彼らは居座っている。

 

前回の単独公演は2018年の9月。

落語のコントのうさぎの餅つきのくだりで表情筋がつりそうなくらい笑ったのをよく覚えている。

youtu.be

 

単独終了後に長谷川さんはブログで「今までで最高の単独ができた」「今できることはやりきったのでまた2年後くらいに単独公演をやりたい」と書いていた。

 

そして単独が終わった3週間後くらいに、長谷川さんのお絵描きツイキャスを見ていた。

視聴者は私1人しかいなくて、ちょうど台風がすごい日で「大丈夫ですか?」と聴いてくれた。

お絵描きはなにも考えずに「うさぎ」ってお題をリクエストしたんだけど、長谷川さんは単独公演でやったあの落語のコントに絡めた絵を描いてくれた。

楽しみにしていた単独が終わってしまって、ちょっと気持ちの落ち込みもつよい時期だったんだけど、単独公演の最後の「明日、誰かに話そう」というフレーズを聞いたときと同じように心に灯りがともったような感覚になった。

 

「今度単独やるときもクレオパトラを好きな私でいたい」

 

そういう気持ちで次の単独まで髪の毛伸ばそうは、今までにも何回かやっていた。

私にとって変化と終わりはなにより怖いものなので、自分の気持ちが変わってしまうことにはいつも怯えていたのだ。

 

「次も現時点で悔いはない、最高のものができた、そう思えるものになりますように」

 

ものすごく自己満足だけど、その気持ちをなにかに込めたくて、私はまた次の単独まで髪を伸ばそうと決めた。

2年後にはまた客席でそれを見届けたかった。

 

 

 

最後にクレオパトラを観に行ったの自体は2019年の12月だった。

年末によくやっていた忘年会ライブ。

ライブを見て、終演後に友だちとお喋りをして、時間に余裕があればご飯も食べたりして、バスタから夜行バスに乗り込んで京都に帰る。

時間とバイト代が使える学生の時は月2とかで観に行っていた。

その頻度が年に数回になっても、私にとっては当たり前のことだった。

 

それから3ヶ月ほどで世界の状況が一変して、その当たり前ができなくなるなんて、知る由もなかった。

 

いろんな当たり前がなくなって、お笑いに限らず劇場での演劇、音楽のコンサートやライブは難しい状況になってしまった。

いろんな人がエンタメの届け方を模索してくれて、クレオパトラもリモートでの公演や配信をやってくれたりした。

だけど、私はやっぱり現場が好きだったし、早く客席から好きな人たちに会えるようになりたかった。

 

2021年の半ばくらいから、ようやくまた観劇やライブに行く機会にも恵まれてきた。

 

5月にはコロナ禍を経て好きになった斉藤壮馬さんのライブを見に行き、11月には久しぶりに刀ミュの観劇をした。

でもクレオパトラを観に行く機会にはなかなか恵まれない。

 

2022年に入る頃、今年の内に20周年の単独公演をやりたいと話していた。

だけど、一向に具体的な日程とかの話は出てこないまま時間は過ぎていく。

長谷川さんは演劇の活動に力を入れていて、桑原さんも別の仕事をしている。

桑原さんが普通の会社に就職してからはクレオパトラとして活動することはどんどん減っていた。

忙しいのは分かってる、2人の予定をすり合わせるのも大変なんだよ、と自分に言い聞かせた。

 

早く日程出してくれないと、仕事の都合で行けないかもしれない。

もしかしたら結局今年は単独公演をやらないのかもしれない。

来年になってもこのままズルズル時間は過ぎていくのかもしれない。

自分の気持ちは「好き」なのか「執着」なのか分からない。

そしてそこにはきっと正直「惰性」も含まれている。

いろんなことを考えてしまい、その度に縋るようにあのツイキャスアーカイブを見返した。

大丈夫、あの灯りはまだ消えていない。

 

伸ばし始めた時は鎖骨あたりの長さだった髪の毛は腰に届くくらいの長さになっていた。

もし行けなかったら、楽しくなかったら、私の願掛けはどうなるんだろう。

 

ようやく日程の告知が出たのは11月の終わり頃で、私は転職先に初出勤5日前くらいで、たまたま休みであることを祈るしかなかった。

今まで経験してきたどんなチケットの当落よりも緊張したかもしれない。

 

新しい職場のシフト表を見て、12月20日のところに×がついてるのを見た時はあまりにも安堵しすぎてすごく怪訝な顔をされてしまった。

 

前日の19日も休みだったので、美容院に行った。

ばっさり、潔く顎のあたりのボブにしてもらった。

私の約4年分のクソ巨大感情がつまった髪の毛はヘアドネーションに出したので、どこかの誰かのウィッグの一部になります。

 

休みが分かった時はうれしかったし、髪の毛も切ってそわそわしたけど、当日の朝、久々にクレオパトラのために東京に出発してもなんだかいまいち実感が湧かなかった。

道中、持ってきた本にもあんまり集中できず、見れていなかったM1をTVerで見た。

みんなすごくおもしろかった。

クレオパトラはもう賞レースには出ないし、芸人としての活動だって年に片手で数えられるような状態だ。

 

おもしろい芸人は世の中にいっぱいいて、私はそれをよく知っていて、もちろんクレオパトラだっておもしろいけど、私はちゃんと今日を楽しめるんだろうか。

そんなことをぐるぐる考えていた。

 

だけど、最後に乗り換えをした電車に乗った瞬間、ちょうどイヤホンから流れてきた壮馬さんの歌声が心にストンて落ちてきて、スイッチが入ったみたいに実感が湧きあがってきた。

 

いつかはあの星の土を この足で踏みしめようって

夢物語はついにもう くだらない現実と化して

グッバイとかハローだとか そんなのどうだっていいよ

さよならを結晶世界に閉じ込めるよ*1

 

 

私は4年ぶりにクレオパトラの単独公演を見に来たのだ。

もしかしたら知らない間に私の感性は変わっていて、これから過ごす時間は楽しくないかもしれない。

なにも刺さらないかもしれない。

下手したら、これが最後だったりする?

 

 

 

だけど、それがなんだ?

 

 

 

誤解を招きそうな言い方だけど、そんな心配事はなんだかすべてどうでもよくなった。

私はずっとずっとずっと、客席からクレオパトラに会いたかった。

 

どれだけ他に好きなひとやものが増えても、「好き」ではなく「執着」に変貌しているものかもしれないけど、おもしろい芸人は他にもたくさんいるけど、消えそうになったこともなくはないけど、ずっとずっとずっと心の真ん中に抱いていた気持ちだ。

 

それが遂に叶うのだ。

うれしい気持ちがようやく心に追いついた感覚。

 

会場の最寄りの駅で電車を降りて、歩いても充分間に合う時間なのに走って向かいたい気持ちでいっぱいだった。

 

 

はやく、はやく、はやく。

 

 

逸る気持ちと上がりそうな息を抑えながらスマホの地図アプリを頼りに会場へ近づいていく。

会場の外には単独のチラシが貼ってある看板がぽつんと立っていて、写真を撮っていると中から桑原さんの声が聴こえてきた。

この階段を降りたら、いる。

どうしよう、ふたりの顔を見たらたぶん泣いてしまう気がする。

来ているであろう友人たちがもういたら恥ずかしいなぁと思いながら会場内に向かって足を踏み出した。

 

中を覗き込むと受付のところには2人がいて、長谷川さんと目が合った。

長谷川さんは少し目を見開いて「お久しぶりです」と言ってくれた。

 

一瞬だけ視界がぼやけたけど、次の瞬間には桑原さんによるチケット代徴収コント(?)が始まり、困惑しているうちに涙はどこかへ行ってしまった。

私も、既に客席にいて私たちのやり取りを見ていた友人たちも笑っていた。

 

着席してからちゃんとちょっと泣いたのはここだけの秘密。

 

単独公演の内容については割愛するが、とっても楽しい時間だった。

長谷川さんは「これはお笑いじゃなくてドキュメンタリー」と言っていたんだけど、なるほどなって思った。

私が好きになったときのクレオパトラとなにも変わっていないとは言えないけど、私が好きでいた12年くらいと地続きで今のふたりがいるのだ。

ちゃんとそう思える時間だった。

 

 

舞台の上にはふたりがいて、客席には私がいて、彼らを通じて知り合えた友人たちが同じ客席で笑っている。

私が大好きで、ずっとまた見たいと思っていた景色がそこにはあった。

最後にあっち向いてホイをしてくれて大喜びした。

 

 

そしてなによりも、当たり前みたいに「次」の話をしてくれたのがうれしかった。

 

 

「次」の機会に私とクレオパトラの時間がまた重なるかは分からない。

「次」の機会に私は今と同じ気持ちは抱いてないのかもしれない。

 

でも、また何年かの時を経て、私と彼らの時間が重なる日が来たらうれしい、そうなってほしい。

少なくとも今そう思っているのは絶対に嘘じゃないからそれでいいと思った。

 

あと、世の中におもしろい芸人はたくさんいるけど、私にとっていちばん大事な存在はクレオパトラだし、これからもそうなんだろうなと思う。

大元を辿れば、変化と終わりが溢れるこの世界で、よしもとを辞めてからも、普段は別々のことをやっていても、年に揃うのが数回だけでも、それでも2人が揃えばクレオパトラでいてくれるだけで私はうれしかったのだ。

 

 

たくさん笑った多幸感と共に夜行バスに乗り込む。

帰ったら仕事に行かなきゃなのは憂鬱だけど、このほかほかした気持ちを抱えて帰路に着くのは嫌いじゃない。

 

願掛けをした甲斐は、きっとちゃんとあったなと思いながらバスの中で心地よい微睡みに身を任せた。

 

 

 

as is : そのままの、現状通りの

 

 

*1:結晶世界/斉藤壮馬